プロフィール

氏名:平戸 航太(ひらどこうた)
住所:千葉県流山市在住
職歴:会社員
生年月日:昭和62年7月1日 長崎市生まれ
スローガン:つくる。日本の新時代!
家族構成:妻、子ども2人
趣味:マラソン、格闘技観戦
座右の銘:好きこそものの上手なれ/縁の下の力持ち
経歴
  • 2000年03月
    伊王島町立伊王島小学校(現 長崎市立伊王島小学校)卒業
  • 2003年03月
    海星中学校 卒業
  • 2006年03月
    長崎県立長崎東高等学校卒業
  • 2010年03月
    九州大学工学部機械航空工学科卒業
  • 2012年03月
    九州大学大学院工学府機械工学専攻修士課程修了
  • 2012年04月
    総合電機メーカー入社 設計者として勤務
  • 2023年06月
    こくみん政治塾入塾
  • 2023年10月
    国民民主党千葉県第7区総支部 総支部長に就任

エピソード

誕生~小学生まで

1987年7月1日長崎市生まれ。長崎港からおよそ10km離れた離島、伊王島で育つ。
海に囲まれた環境で育ったため、好きな季節は夏。海水浴場から船着き場までの3kmを3時間以上かけて泳いだこと、地元のペーロン大会に参加したこと、素潜りで魚やカニなどを捕まえたことは今でも鮮明に覚えている。

4泊5日の修学旅行で東京・北海道を訪れ、新幹線、国会議事堂見学、ジンギスカンなど多くの人生初を経験する。この修学旅行での経験や、毎年行われていた長崎市内の小学生との交流会を経て、より広い世界を見てみたいと考えるようになり、長崎市の海星中学校を受験することを決意する。

学生時代

海星中学校では学内の寮に入り、サッカー部に所属。小学生の時に市や県、九州の選抜選手であった部員が数多くいる環境の中で日々の練習を重ねた。ボールの扱いはなかなか上達しなかったが足の速さと体力には自信があり、3年時にはレギュラーとして全国大会に出場、ベスト8となる。この経験をもとに「好きこそものの上手なれ」を座右の銘としている。

高校ではサッカーと勉強を両立することを考え、3歳上の兄が通っていた長崎東高等学校への進学を決意。当時は伊王島と長崎市を結ぶ伊王島大橋がなかったため、3年間、毎日、船を利用して高校へ通学した。小学校も中学校も1学年1クラスであったため、1学年に8クラスあるという初めての環境に戸惑う。3年時にはサッカー部のキャプテンを務めるも、高校最後の大会直前に左足の肉離れを起こし、最後の試合では試合終盤のみの出場であった。一回戦敗退という結果であったが、チームとして一丸となり全力を尽くしたことは良い思い出となっている。サッカーを引退してからは本格的に受験勉強に取り組む。クラスメートと近くの飲食店で食べる昼ごはんが受験勉強のなかの楽しみであった。

地元長崎を離れ、九州大学工学部に進学。大学・大学院では機械工学を学ぶ。

就職活動では、機械工学を通じて社会貢献をしたいと考えており、その中で粒子線治療装置という存在を知る。母親をがんで亡くしていたこともあり、粒子線治療装置に興味を持ち、医療機器業界を就職活動の軸とすることを決意する。

設計者として

総合電機メーカーに入社し、設計者として粒子線治療装置の構造設計に携わる。米国の病院でのトラブル対応中、治療のために麻酔で眠っている10歳前後の少年がストレッチャーに乗せて運ばれていく姿を見たときに「命に係わる業務に自分自身が携わっていること」を強烈に感じた。この経験を通じ、自分の携わる製品を必要とする世界中の人々のために、自分自身は努力を続けなくてはいけないと考えるようになり、「縁の下の力持ち」を座右の銘としている。

粒子線治療装置、鉄道システムに関わる業務を通じて日本のものづくりのレベルの高さを感じる一方で、先端技術ランキングでは米国や中国はもちろん韓国やインドよりも日本は低い位置にランク付けされており、一人の日本人技術者としてもどかしさを感じるようになる。